上機嫌で何が悪い!ブログ「どこか、安心できる場所で 新しいイタリアの文学」パオロ・コニェッティ他

 イタリアについて書いてある本は、まぁある。少ないにせよ読んだこともある。須賀敦子とか塩野七海とか。イタリアの文学ってどんなの?国に独特な発想とか文物の表現とか文脈ってあるの?

 僕たちは、「国語」を使って思考するから、語法の檻から抜け出すことはできない、ってことなら、(それはそうなんだとして)僕たちが使う日本語、日本語を使って考えることは、どんな固有性があるのかな?もちろんそれは他言語テクストと比較しないとわからないので、残念ながら僕にはわからない。わからないけど、それなりに想像することくらにならできそう。

 さて、2000年以降に発表されている(この短編集の編集の条件でもある)イタリア文学の特性はどうか、まではもちろんわからない、わからないけど、差異よりも共通項のほうが目立つなという印象でした。都市や都市近郊で暮らす人々が取り上げられていたからかも。都市の暮らしは近代文明という大気圧の下で、どことなく似てしまうものだし。

 差異はというと、歴史に根源を持つイタリア人の人種観が、僕には新鮮だった。ソマリア人の女性を描く「わたしは誰?」(イジャーバ・シェーゴ作)は、貧乏な出身国に軸足を置きつつも、イタリアで近代的に暮らす若い女性の自分の若さが失われていくことへの焦燥や開き直りが描かれていて、日本では感じられないであろう感情の描写が面白かったです。

 しかし、差異よりもテーマの選び方の共通の多さのほうが、実は驚きでした。「どこか、安心できる場所で」(フランチェスカ・マンフレーディー作)は、主人公の女の子が従妹の女の子と小さな冒険体験をして、妊娠中の母の元へ戻るという物語的な構成の作品。まんま僕が知る「行きて戻りし物語」なので、そこらへんは、きっと人類の普遍的部分なのだろうし、読みやすいと感じた源であろうなと思いました。