上機嫌で何が悪い!ブログ「べらぼうくん」万城目学
アイデアの奇抜さで勝負するタイプの作家の書くエッセーがおもしろくないはずがない。しかし、意外にも読了後に残るこの寂しさはの源はなんだ?「万城目よ、お前もか!」とでも言おうか。
僕は、万城目をデビュー一冊目から全部読んできている。歴史と絡めたその面白さの根源は「奇抜な思い付き」にある。奇抜である以上、思いつけば、後は膨らませていく作業を繰り返して完成度を高めていくものだと思っていた。
その奇抜さに深みがないのは、万城目に天賦の才がある。つまり万城目が生まれながらのエンターテイナーで、その人生を歪めるほどの深い挫折の経験がないからこそ、あんな文体になると思ってきていた。
万城目は、きっとサービス精神に溢れる人なんだろう。こんな文で、そっと独白している。『一点大きく違うのは、小説家の思い入れの中に「独りよがり」の成分は含まれていないと、いうことだ。』この一文に万城目の親切心を感じる。もう少しひいてみよう。
『はじめは誰もが「独りよがり」に突き動かされて小説を書き始める。厄介なのは、発信の原動力となったはずの「独りよがり」を落とし切らない限り、小説家にはなれないことだ。「独りよがり」は自分のためにしか燃焼できない。他人の楽しみには決してなり得ない。他人の楽しみとなるとなるものを書くのが小説家だ。』
万城目も独りよがりを燃焼し尽くしたと思えるほど挫折を繰り返してきたんだな。結局、万城目ほどの人もそうなんだなぁ、と思うと少し寂しくなる。