上機嫌で何が悪い!ブログ「フランシス子へ」吉本隆明著

前半1/3は愛猫フランシス子と自分の関わり方。中盤に村上一郎のエピソードとホトトギスの実在性を疑うくだりをはさみ、後ろ1/3で親鸞の生き方。吉本が思いつくままに、記述してそうな一冊。

この人を貫いているのは、「立ち止まって考えなおしてみる」ことなんでしょうね。いろいろな問題にあたっても、解決できなくてもそれは悪いことではない。むしろ性急に原因と結果を繋いで、解決を求めるのではなく、その問題について常に考え続けるしかない、と吉本は言います。

それに続く一章が吉本の真骨頂です。「ホトトギス」(鳥)の実在性を疑います。文献を取り寄せたり、動物園に問い合わせたり。それも大真面目に。一体彼の中で何がどうなれば、実在性についての納得が得られるのかな?

でも僕も似たような経験をします。対象物と自分との間に一枚の被膜が挟まっていて、頭では理解できるけど、しっくりこないよな~、みたいな経験です。僕がその感触に出会えば、理解の遅さに原因を求め、取り敢えず「丸のみ」するようにしています。対象物を実感としてする理解は遅れてやってくると信じています。

立ち止まって考えることは、僕が生きている環境下では、なかなか困難です。経済的合理性は、もはや宗教並みの尊大さで、僕に深部に入り込んでいるものでして。

最後に、この人、あの吉本ばななのお父さんやったんや!あら、びっくり、です。はい、すいません、知りませんでした。