上機嫌で何が悪い!ブログ「悲しみよ こんにちは」フランソワーズ・サガン 河野万里子訳

「悲しみよ こんにちは」のタイトルの重さよ。生涯を通じて向かい合っていく(受け止めきれるものか、受け止めきれないものかはその人それぞれだけど。)記憶と18歳の時に出会う。それを「こんにちは」とはよく言ったものよ。

 自分の中に抱え込まずに、剥き出しの思いを行動に移すその危うさ、自己中心的で、他人を自分と同じように尊重しないその生き方はその当時ならいざ知らず、今僕が生きている現代的な環境なら「アウト」だろうな。現代を生きる僕の娘は、きっと「他人への配慮」によって、息苦しさを感じてるだろうね。

 でも、全文どこをとっても素直で危うい それゆえに美しいナラティブ

 例えばセシルのこんな独白「愛はこの世でいちばんやさしく、いちばんいきいきとして、いちばん道理にかなったものだから。」や、「気に入られること以外、わたしたちは何を求めているのだそう?わたしには、まだわからない。人の心を勝ち取りたいというこの気持ちの裏にあるものが、旺盛すぎる生命力は支配欲といったものなのか、それとも、自分自身について安心したいという、ひそかな、ことばにされなくても絶えることのない欲求なのか。」

 「あほらし」と思う僕は、感性が鈍磨しているの?それとも、もう十分に大人になったからなの