上機嫌で何が悪い!ブログ「旅する知 世紀をまたいで、世界を訪ねる」船曳建夫著

 知識(知っていること)と、今まさに、眼の前で起きている事象とを関連付けることが、これほどまでに人生を奥深く、味わい深いものに変えてくれるとはそれに加えて、事象を呼び寄せる運(いや、チカラか?)つまり、交友関係の広さやチャンスを生かすことができる反射神経と、もちろん観察力と。う~、僕にないものばかりだ。

サンクトペテルブルク編の「ロシア解析図」や、出国間際の携帯電話がなったエピソードは、ロシア社会の締め付け感や重苦しさを的確に伝えてくれる。

●ニューヨーク編では、バスに乗った時、”てんかん”に陥った運転手に対する同乗していた女性客の機敏なふるまいが紹介される。そこに、アメリカ人の自己犠牲やホスピタリティーの特徴を認めながらも、政治談議を通じてアメリア人の不安の正体を分析していく。

内田樹先生の言を待つまでもなく、当時は、学問の中心地はパリであったらしい。当時というのは、全共闘と、その後影響が色濃く残った数年のこと。パリというのは、よほど華やかだったのだろう。時代を覆う気分というのは、その住人にはわからないのだろうか。今、僕と同世代の40歳代の人に共通するマターは何だろう?

●ソウル編では、日帝40年の歴史にふれることに勇気がいることは、バスに同乗した男性の侠気ともいうべきふるまいで明らかにされる。また、2度目のソウル訪問では、日本人が引き金となって過去のマイナスの記憶が噴出されそうになる。その記憶ってなんだろう?日本人がそのマイナスの記憶の象徴なのだろうか?

●一番身につまされたのが、ケンブリッジ編。なんだろう、この差異感覚。僕の住む小地方都市でも、うっすらと感じるこの「おらんとこ」と「われんとこ」の違い。ケンブリッジ程の階級や宗教ではないのだが。

最後に、今後、僕が歳を重ねていくにあたっての一文。「「変化」と「不変」の入り組み方のまだら模様は、若い頃に想像していたものとまったく異なります。あの頃は、こんな風になるとは思わなかった、というのが再訪したとき、いつも感じたことです。

そう、だからきっと陰鬱な顔をせず上機嫌でいきたいと思っているのです。だって、想像どおりいかないんですから。